˗ˋ Tau log ˊ˗

静かな私の小さな挑戦

「なぜか社会から好かれない特性」を諦めた先は。

こんにちは、こんばんは!たぅです。

今日も送迎に行って来ました💦

私は現在、通所介護世話人として働く元看護師です。

 

 

今日は、繊細な私の「仕事上のリアルな悩み」

について考えていきたいと思います。

明日も仕事を頑張るために…

心の整理にお付き合いして頂けるとうれしいです。

 

 

 

 

目次

 

 

 

 

はじめに:またミスをしてしまった…指摘が収まらない日々

これまでの私は、職場などでよくミスを指摘されてきました。

 

「ちゃんと確認した?」

「また、同じところ抜けてるよ」

「言わなきゃ分からないの?」

 

そんな言葉をかけられるたびに、自分には何かが足りないのだと感じてきました。

一つひとつ丁寧に取り組んでいるつもりでも、相手の求めていたことに気づけなかったり、

注意をしていたつもりなのに確認が甘かったり…

自分では気づいていないところで、どこかしらに抜けがあるのです。

 

 

 

 

「気づけない自分」がつらかった

私は、「人が自然に気づくこと」に気づけないことがよくあります。

思い込みが入ってしまったり、曖昧な部分を自分なりに解釈してしまったりと、

「確認した」と思っても、そこに大事な視点が抜けていたりします。

 


そのたびに、「自分の注意力が足りないのだ」と責めてきました。

 

 

 

 

自分は持っていないと思っている「気づきの力」は、本当にゼロなのか?

以下、私のプラスの特徴をまとめてみました。

 

◾️自分が抜けていることに気づけている

◾️相手のことを考えている

◾️ミスを防ごうと努力をしている

◾️気づけないことを自分の問題として受け止めてきた

 

必ずしも「気づきのない人間」ではないのかもしれません。

 

 

私が思う「気づきのある人」とは

『 能力+環境+余裕』がうまく重なっている人であり、それは

誰もが自然と持っている能力ではないのではないか…

 

つまり、私が感じている“ズレ”は、才能ではなく、

「向き・不向きや情報の受け取り方の差」に過ぎないかもしれません。

 

「気づく力」というのは、誰もが自然に持っているものではなく、

むしろそれ自体が“ひとつの才能”なのではないか、と思い始めました。

 

 

 

「気づきのある人」は完璧なのか

◾️相手の期待をくみ取るのが上手な人

◾️周囲をよく観察して動ける人

◾️仕事を丁寧に組み立てられる人

 


そういった人たちは、もしかしたら「気づきの才能」に恵まれているのかもしれません。

しかしそれは、誰にでもある力ではないと思います。

 

気づきの能力さえあれば、ミスがなく、人から愛されて、感情が安定し、

人をよく観察しているし、人に物を頼むこともできる…

 

そのような人は、実際にはごく一部かもしれません。

 

 

「もしかしたら、私だけが劣っているわけではないのかもしれない」

そう思えるようになってきました。

 

しかし、「気づきのある人」には必ず抱えている悩みもあるかもしれません。

見えないところで失敗をしていたり、妬みで嫌っている人もいるかもしれない。

感情を無理に押し殺していたりも考えられます。

 

要するに、

社会はどんなタイプで、どんな能力を持つ人でも

誰でも誰もが苦労している道だということです。

 

 

 

 

それでも「舐められやすい人」にはなりたくない

私は人から舐められやすいです。

舐められやすい人の特徴を調べてみました。

 

すぐに謝る→優しくて責任感がある

自信がないように見える→謙虚、自己反省ができる

表情や言葉が柔らかく丁寧→人を傷つけたくない優しさがある

断れない→協調性があり、空気を読む力がある

 

まとめてみると、別の場面では信頼される要素にもつながります。

つまり、繊細が故の「人から舐められやすさ」は、用途によっては信頼関係の

構築の資質になるかもしれません。

 

今回の題名には、「この社会の中で生き延びるには、誠実で謙虚な姿勢をまっとうするしかないのかもしれない」という思いも含んでいます。

 

これは、希望のようにも思えて、諦めにも見えます。

 

しかし、誠実と謙虚さは、社会の中で「気づきの能力」以上に、

長く信頼される武器になるかもしれません。

 

短期的には目立たず損に見えるかもしれませんが、

長期的には真面目さが誰かを助け、自分を守るものになります。

 

 

 

 

私が忘れてはいけないこと

私にはまだ、「気づく力」は十分にはありません。

それによって迷惑をかけてしまうこともあり、

悔しい気持ちになることも多いです。

 

でも、私がまったく努力してこなかったわけではありません。

失敗を繰り返しても、毎回反省して、次はどうすれば良いか考えてきました。

少しでも丁寧に、誠実にやろうと心がけてきました。

それは、自分なりに一生懸命だった証でもあると思っています。

 

無理に「気づける人」になろうとしなくても、

「気づけないなりに丁寧に生きる」という選択も、十分に価値のあることだと思います。

 

誰かにすぐに気づいてもらえること。

スムーズに仕事を進められること。

人に好かれやすいこと。

 

それらは、たしかに素敵な力です。しかし、それがなかったとしても、

何度も失敗を繰り返しながらも、あきらめずに向き合い続けている人の姿は、

きっと静かに誰かの心を打つものだと思います。

 

私自身、気づけないことで落ち込むことは今でもあります。

けれど、少しずつ「そのままの自分」でも、

生き方を工夫しながら進んでいけばいいと思えるようになりました。

 

小さな成長を、自分のペースで重ねながら。

誰かの役に立とうとする気持ちや、誠実に向き合う姿勢を、

忘れずに頑張って生きていきたいと思っています。

 

 

 

最後に:私は、私の歩幅で歩いていく

私はこれまで仕事が続かない自分を責めてきました。

その度に、孤独に感じて、人付き合いも怖くなりました。

私は、「気づけない自分」に苦しんできましたが、その過程で得たもの

(共感、自省、観察する力)は私を支える力そのものです。

辛い時、責めすぎないようにしていきたいと思います。

 

また、気づけないことで悩んでいる方へ

「あなたにはあなたの歩幅がある」と、信じて思い出してもらえたらうれしいです。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

また、ブログに遊びにきてくださるとhappyです。